浦志万太郎’s 読書 blog

読んだ本の備忘録

中村哲『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』

医師・中村哲さんが亡くなって3年が過ぎた。

昔から「この人は異国の地でどうしてここまでやるのだろう」と不思議に思えてならなかった。

私自身の人生を振り返って、どうだろう。

そこまで、人のために尽くすことをしてきただろうか。

答えは、まったく否。

本書を手に取ると、いかに自分が自分のためだけに生きてきたを痛烈に思い知る。

中村哲さんはクリスチャンだが、やっていることは仏教徒のようだ。庶民のためのインフラ整備は奈良時代の仏僧・行基のようだ。

そして、イスラム教徒の文化の中で生きた。

氏の中には、仏教、イスラム教、キリスト教が混在している。

宗教戦争なんてばかばかしい。本来は人類の幸福のためにあるのが宗教だ。

氏の生き様は、まさに私たちにそれを見せつけてくれている。

それこそが今の世に残された私たちが守り、受け継ぐべき財産なのだろう。

中村氏のようには到底なれないが、せめて自分の周りに対して、何かできそうな気がする。

亡くなったことはあまりに痛ましい事件だが、せめてもの救いは、中村氏自身、用水路作りが楽しかったことだ。

そう、人のためとは言え、ただ苦役なだけでは続かないかもしれない。

根底に「好き」があるのは、重要。

存分に生を全うした中村哲氏の生き方は、私にも少なからぬ影響を与えた。

氏の書籍はたくさん世に出ているが、いささか独特の書きぶりに読みにくさを覚える読者には本書をまずはお薦めしたい。

そのあと、興味があればこちらをどうぞ。

こちらも対談集なので読みやすいだろう。

しかし、やはり氏の伝えたいことをダイレクトに受け取りたいなら、次のような単著をお勧め。

 

 

 

 

 

和田竜『村上海賊の娘』

有名な作品であるが、ぜひ映画化も願いたい痛快時代小説!

古文書にはただ一言「姫」がいることだけが書かれているところから、

作者の想像の翼が羽ばたきまくる。

そういう点ではアーサー王伝説みたいなものかもだが、想像力とロマンをかき立てさせられる。

一気読み必至!

 

 

星野道夫『旅をする木』

明けましておめでとうございます。

本書は、とにかくとても素敵な本。

自然を愛する人、都会の暮らしにつかれた人、全てに捧げたい本。

疲れた時に、心を澄み渡る空の下に連れ出してくれる、そんな本。

 

ルビー・ウォリントン『飲まない生き方 ソバーキュリアス』

煙草やアルコール、賭け事など、中毒性のある人はご用心。

煙草は、かつてとは違って社会的にもだいぶ肩身が狭い状況に追いやられている。

「害悪」ということがもはや世の中の共通認識だろう。

ところがお酒は、いまだに社会的地位を保っている。ほどほどに嗜めば薬、コミュニケーションの潤滑油といった具合に、社会に必要とされている幻想がいまだ蔓延っている。

しかし、アルコールほど、質の悪い害悪はない。ある意味で煙草以上だ。

煙草は副流煙などで周りの人々の健康被害も促す点で明らかに害悪だし、非喫煙者にとって、煙草の煙は耐え難い。

ただ、アルコールほどの社会への破壊力はないように思う。

世の中の犯罪や失態などでアルコールが絡むニュースがいかに多いことか。たった一回の酔った後の行動が自分や家族の人生を一生棒に振ってしまう。しかも、そんな大それたことして「記憶がない」ときた。

自分自身もアルコールをやめて数年が経つが、煙草をやめたときに比べて、その誘惑の魔の手からはいまだに逃れられない。煙草よりたちが悪い。

本書は、そうした、断酒を望みつつもやめられない人に向けて書かれている。マイルドなタッチで書かれており、強圧的・教条主義的でないので、とっつきやすい。

その分、本書を読んで断酒が成功するほどの効果が得られるかどうかは分からないが、断酒したい人は一度読んでみてもいい。

中毒物はすべてそうだが、やめてみると、やっているときの良いこと(快楽的な気分)が想起されてまた手を出してしまう。

やめるコツは、やってしまったとき(喫煙や飲酒等)の悪い体験・気分にフォーカスすることだ。

中毒物・依存物はおしなべてそうだが、快感やリラックスの後、ほぼ必ず気分の悪さが押し寄せてくる。そこに目を背けてはならない。体は、その気分の悪さを感じることによって、自身の体を守ろうとしているのだ。

飲まないと話が盛り上がらない、とか、リラックスできない、とかは酒による幻想だ。

昔を思い出してほしい。お酒など飲まなくても毎日が楽しかった少年時代。

私はつらい時には海や山に行った。そうすると自然が癒してくれた。その癒しは絶大だ。酒と違って心に膿は残らない。

学生時代は酒がなくても喫茶店で学問に話が盛り上がった。酒が入って盛り上がるのとは全然違って、人生にとって意味のある時間だった。

自分の充実していた人生を振り返るほどに、酒によって奪われたものの大きさを思い知る。

萩原博子『買うと一生バカを見る投資信託』

なんとなく投資を考えている人は、薄い本ですし一読してみてもいいかもしれません。

最近は政府がやけにイデコやニーサを薦めてくるし、そうしたマニュアル本も書店で多く見かける。はたして投資をすべきかどうか。

生命保険に入ったときも、外資系の投資を合わせて薦められた。その時はとりあえず断ったが、「やっぱやってたほうが良いのかな」という思いに捕らわれることもしばしば。

しかし、本書を見ると、安易にそうしたものに手を出さないほうがいいという気になった。

 

 

とくに、うすうすとは気づいていたが、

こまめなことが苦手で、人をすぐに信用してしまう私には、

少なくとも投資による老後資金確保などは向いてなく、無駄な出費を無理なく抑えることのほうが堅実だとわかって、妙な焦りから解放された。

本郷和人『歴史学者という病』(講談社新書)

歴史学」について、フワフワとしたイメージしかないものの、興味がある人にお薦めである。歴史学の初学者が読んでも勇気づけられる一書だと思う。

 

歴史学者というのは、どんな人たちだろう?

武家の赤裸々な日記や手紙を読んで、その子孫にあたる私たちに公開する、けど、自分のことは語らない、そんなイメージだ。

もちろん研究者であるから、自分のことなど語らなくてもいいのだが、過去の、反論できない人々の私的な記録を公にするという行為と、自分のことを非公開にするという対局性に違和感を私は感じる。

これが物理学者や生物学者なら、自分のことを語っていなくても違和感を感じないのだが、逆にそうした人々のほうが自分のことを語っている気がする。

また、自然科学系の研究者に比べて、歴史学者は、歴史学の面白みを普及する行為を怠ってきている印象がある。歴史好きの人に向かってしか語らないイメージだ。

ところが、である。

この本は、そうした私のイメージをサクっと覆してくれた。

現代風の柔らかい語り口で、本人のある意味で赤裸々な部分が綴られている。歴史学者の人間臭さが伝わってくる。古代史は有能な友人がいるから、中世史を専攻にしようなどと、そんないい加減なものなのか、とつい唸ってしまう。しかし、まぁ、学問の世界はどこでもそんなもんなんだろう。

本書では、自分の半生の中で培ってきた歴史観や研究の姿勢などが、偉そうではなく、自然と語られている。本書を読むと、歴史学という学問そのものについて、とても身近に感じさせてくれる。また、歴史学が「科学」であるとはどういうことか、という私が長らく疑問だった点も晴らしてくれた。

筆者が掲げた第二の人生としての「ヒストリカル・コミュニケーター」として、そのスタートは順調に切られた、というと、上から目線の私は何者?という感じだが、こうした歴史学者がもっと増えることを願ってやまない。

本書をきっかけに、少し歴史の本でも齧ってみるかという気になった。

はじめまして

これまでの人生で、いろいろと本を乱読してきましたが、記録というものを残しておこうと思い、ブログを始めてみることにしました。果たして続くかどうか、こうした行動が自分に合っているのかどうか、試してみたいと思います。